学校は必要か?

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学校の役割を解説します。

まずたとえ話となりますが、学校が一切存在しない世の中を考えてみましょう。

とりあえずみんながバカになります。

みんなバカなので後先考えない行動ばかりします。

世の中は喧嘩の強い人の天下となり、弱肉強食の社会となり、北斗のような世紀末な世界観になるでしょう。

たまに頭がいい人が現れたとしても、自分の身を守るために人のいないところでひっそりと生活するようになります。

形成されるのは強い人が偉いという常識で、限られた食料などは奪い合いになり、力の無い人は生きていけないでしょうね。

仮に強くても一回負けるとゲームオーバーです、より強い人と戦う展開になったら終わりです。

ゲームとしては面白いかもしれませんが、現代社会でそのような事になったら困りますね。

しかし現実世界の学校がない地域は狩猟などで生活していますがそれはそれでなんとかやっていけています。

それは知識や知恵の継承が行われているから。

マフィアな世界でも組織に入って生き残っていくと何らかの生活の知恵や常識を得た人間は生き残っていけます。

とはいえ、そのような世界では選択肢を一つ間違えただけでゲームオーバーになってしまうような社会ですけどね。

学校がなくてもなんとか社会は成り立つかもしれませんが、生きていく事も大変で子供が成人するのも難しいファンキーな社会にしかならないでしょう。

さて、学校というのは多数の人間に効率よく常識を身に付けさせるための教育機関です。

言い換えれば学校を卒業するという事は、その過程の常識を身に着けたという証明になるわけです。

小学校では日本人として集団生活をするための常識、中学校では大人として生活するための常識といった具合です。

高校以降は各種の専門性を磨き、大人になって働くための常識を身に付けるための教育機関ですね。

全ての人が中学校を卒業するという前提で、日本人は大人として最低限の常識がある素晴らしい社会が形成されているといえるでしょう。

では高レベルの学校、例えば東大や京大の場合はどうでしょうか?

例えば東大卒であれば東大卒相当の常識を持っているわけです。

これは高い専門性や高度な知識を持ってそうな感じがします。一般人には理解できような知識です。

一般人には役に立ちませんが、東大卒の人が巧みに使ってノーベル賞を取るなど凄い事を成し遂げます。

東大卒の方々が凄い事を成し遂げていけば、やっぱ東大すごいなーってなり、若くて頭のいい子供が東大を目指す事になります。

こうして東大にレベルの高い学生が集まり、卒業後に実績を上げてより東大ブランドを成長させていくわけですね。

さらなるブランド維持のために卒業生が談合して、東大卒のみのコミュニティを作り出し、日本の経済界を牛耳っていきます。こうして日本は東大卒に支配されます。

それに対抗する勢力として他の一流大学も卒業生を政財界に送り込みます。東大の独占を許してはなりませんからね。

一流大学も得意分野があるので自分の支配領域では派閥の権力を誇示し、あわよくば拡大しようと画策します。

例を挙げると、高校野球や大学スポーツなどが分かりやすいですね。強豪校は強い学生が集まるから競合校であり続けるのです。

学生はただの闘争の駒扱いですね、学生スポーツに力を入れている学校はそのような臭いがして嫌になりますね。

でもこういうブランド力のある大学に入ってスポーツ派閥の波に入ったら将来はそこそこ安泰です。一流企業内に就職できるだけの派閥を持っていますから、その後の人生が比較的楽になります。

頭のそこそこいい学生がブランド大学を目指すのも当たり前の話ですね。

しかし、派閥ばかりで社会を形成すると一つの問題が出ます。それが競争力の低下です。

同じような学校出身者で会社を構成すると個人の能力よりも学内の上下関係で出世するかが決まり、企業としては同じような常識を持った人ばかりの風通しの悪い組織となります。

また他の学校出身者は肩身も狭く、出世の機会も限られます。

結果として企業は多様性を欠く事となり、頭の堅い組織となっていつしか時代遅れになるでしょう。どことは言いませんが。

さて、巷でアンチを大量に生産している少年ユーチューバーがいます。

彼は学校に行かない事を売りにしています。まさに非常識ですね。

でも個人的には、時代にマッチした革命児なので問題ないと思います。

彼が支持される程度には日本の教育機関が問題を抱えているという事ですね。

※ちなみに私は彼の動画を見たことはありませんし、当面見る予定もありません。

ではなぜこのような問題提起が起こり、世の中でそれなりに受け入れられているのでしょうか?

それは彼の父親を含めて一定の人が、学校へ行く事があまり意味のない事だと考えているからでしょう。

前述した通り、学校は常識を教える場所です。

しかし、その常識を得たところで幸せに生活できないのならば、学校へ行く必要はあるのでしょうか?

これからの時代、労働者として生きていくのはハードルが高い事が予想されます。

かといっていきなり資産家おじさんになることも難しいです。

日本の学校はトップ層以外は労働者としての常識しか教えてくれません。

真面目にコツコツ頑張っても並の能力しかなければ、最高年収400万以下の労働者まっしぐらです。

しかもこれは金と時間をかけて真面目に努力した結果がこの程度の労働者です。

ならばユーチューバーになって人気になってタレントもどきの活動をして人気者になった方が収入を稼げます。てか稼いでいます。

今更普通の人はまともに生きていけない時代が来るのです。

そう考えれば、彼の歩む人生は正しいのです。既に安定した人生を歩む人にはわからないのですよ。

こういう子供が出てくる程度には、日本の学歴社会は歪んできています。

エリート街道を歩める人は安泰でしょうが、学費にひーひー言いながらDラン大学に行く意味はあるのでしょうか?

そこで得られるのはDラン大学程度の常識とコミュニティと労働者としての将来です。

このような人たちは資本主義社会の末端構成員として搾取されながら働き続ける運命となります。

そう、この私のように。

でも学校は必要だと考えます。

Dラン大学でも中卒でも社会で活躍する人はいっぱいいます。

それは正しく学校を活用して、常識以上の経験を得て効率の良い労働者となることが出来ればいいのです。

その為には何が必要かというと、具体的な目的です。

何を学びたいから学校へ行くのか、自分は何が出来るようになりたいのか、その道筋を描くことが出来て目的に見合う学校を選べば、それは価値のある投資になるでしょう。

以上、個人的な意見でした。

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