シンザンのライバルたち

シンザンに挑むも返り討ちにあったり善戦したりしたお馬さんたちのまとめです。

ウメノチカラ

27戦9勝 

1着

  • 朝日杯3歳S
  • NHK盃
  • セントライト記念、
  • 新潟記念
  • 毎日王冠

2着

  • 東京優駿
  • 菊花賞
  • 天皇賞

3着

  • 皐月賞
  • スプリングS
  • 目黒記念

シンザンがデビュー戦で戦うのを避けるほどの高素質馬でシンザンと同じくヒンドスタン産駒。2歳時から頭角を現すもシンザンを含め古馬の一線級にはかなわず、8大競走は勝てずじまい。それでも引退レースとなった春の天皇賞では2着に好走するなど、最前線で長く活躍した。

引退後は種牡馬となるも活躍馬も出せずに終わった。

オンワードセカンド

25戦4勝

1着

  • 毎日盃
  • 神戸盃(現在の神戸新聞杯)

2着

  • 京阪盃

3着

  • 東京優駿
  • 菊花賞
  • 京阪盃
  • 京都記念

シンザンの同じ武田文吾厩舎のライバルで、母であるミスオンワードは無敗で牝馬2冠を達成した名牝である。素質はシンザンより上だと思われていたが、クラシックを目前に化けの皮がはがれる。東京優駿と菊花賞でシンザンの3着と好走するも古馬になってからは一つも勝てずに終わってしまう。

シンザンの強さを見抜いた栗田勝とオンワードセカンド押しの武田文吾の喧嘩の種となる。厩務員の中尾謙太郎とその仲間もシンザンとオンワードセカンドの担当を入れ替えたあたり何かとシンザンと縁のある馬であった。

オンワードの馬主は現在も続くオンワードホールディングスの創業者で当時は活躍馬を多数所有する有力馬主。シンザンもオンワードの馬主に買われる可能性があった。

バリモスニセイ

40戦12勝

1着

  • 京都盃(菊花賞トライアル時代の京都新聞杯)
  • 中日盃
  • 朝日チャレンジカップ
  • 阪急盃
  • 鳴尾記念
  • 産経大阪杯
  • スワンS
  • 京阪盃

2着

  • 宝塚記念
  • 日本経済新春盃
  • スワンS

3着

  • 天皇賞(春)
  • 迎春賞(現在の京都金杯)

クラシック戦線では活躍できなかったが、シンザンに重賞で唯一土をつけた馬である。スピードある先行力を生かして主に2000m以下の重賞で息の長い活躍をする。重賞8勝は当時の最多勝であり立派。現在ではG1となっている大阪杯も勝っており、当時に現在のレース体系となっていると仮定していれば間違いなくG1馬に、しかも複数勝利していた名馬となるだろう。

父はバリモスでアイルランドの馬でこの馬は持ち込み馬。バリモスニセイの名に恥じない成績だったが、種牡馬入り後には3世には恵まれなかった。

似たようなネーミングではトウケイニセイもいるが、こちらも三世は出てこなかった。

ハクズイコウ

18戦11勝

1着

  • 天皇賞(春)
  • アメリカJCC

2着

  • 天皇賞(秋)

3着

  • スワンS

シンザンの後期のライバルで天皇賞秋と有馬記念で対戦する。シンザンと同期だがデビューは3歳9月と大幅に遅れたためクラシックとは無縁だった。しかしデビュー後は10戦9勝と破竹の勢いで出世し、天皇賞(秋)では重賞初挑戦ながらシンザンと未対決という未知の魅力もあり2番人気となる。レースはシンザンにこそ負けたが他の有力馬は完封しており人気に見合う実力は見せた。有馬記念ではミハルカスの策に引っ掛かり荒れた内側を通らされて伸びきれず敗戦してしまう。

シンザン引退後の天皇賞(春)ではウメノチカラと新旧シンザンのライバル対決になるも一番人気に推されウメノチカラに2馬身半の差をつけてレコードタイムで完勝する。この時のタイムは1982年にモンテプリンスに更新されるまで長らく保持されていた。

生涯を通じて1番人気を奪われたのはシンザン以外には条件戦時代に一度だけと遅咲きながら高く素質を評価されていた。種牡馬となってからは活躍馬をだせなかったのはこの時代なので仕方ない。

ミハルカス

40戦12勝

1着

  • ダイヤモンドS
  • オールカマー

2着

  • 有馬記念
  • 毎日王冠
  • アルゼンチンジョッキーズクラブカップ(現在のアルゼンチン共和国杯)

3着

  • 天皇賞(秋)

シンザンの一つ上の世代の実力馬。デビューから勝ち味に遅く、クラシックは未出走。古馬になってから徐々に力をつけ4歳(旧5歳)の11月から12月にかけて条件戦を4連勝。翌年には重賞の常連となり、ダイヤモンドSとオールカマーに勝利する。

しかしここで不運な事に現役最強馬のシンザンが関東を荒らしやってくる。2番人気で迎えた目黒記念ではシンザンに次ぐ二番人気となるが、何故かシンザンより2㎏軽いだけの61㎏を背負わされて4着に敗戦。続く秋の天皇賞では大逃げをかますも冷静に対処されて3着と連敗してしまう。

ただ黙ってやられるわけではないのが当時のナンバーワンジョッキーだった加賀武見である。有馬記念ではシンザンを倒すために中山の荒れた内側の馬場を走らせるように誘導する。しかしシンザンは一枚上手であり、外の一頭分のスペースを突いて一気に差し切る伝説のレースを達成、ミハルカスは見事引き立て役に終わるのであった。

シンザンに負けた後はこちらもピークアウトしてしまい、一勝もできずにターフを去る事となる。ピークが少しずれていたら8大競走も取れていたかもしれない素質はあった。

アサホコ

50戦12勝

1着

  • 金盃
  • アメリカJCC
  • 京王盃スプリングハンデ
  • スワンS
  • 天皇賞(春)

2着

  • 目黒記念
  • アルゼンチンジョッキーズクラブカップ(現アルゼンチン共和国杯)

シンザンの1世代上の馬でシンザンとは未対戦で終わる。4歳(旧5歳)終了時点で40戦5勝と冴えない条件馬だったが5歳(旧6歳時)に突如覚醒。金盃で初重賞制覇するとあれよあれよと天皇賞(春)まで重賞5連勝を達成するのだった。似たようなタイプとしてはタマモクロスがあげられる。とにかく天皇賞(春)の勝ちっぷりが圧倒的でシンザンと一緒に走ったライバルたちがいとも簡単にぶっちぎられていた。あまりの勝ちっぷりに一部ではシンザンより強かったといわれるほどで実際に一緒に走ったら勝負の結果はわからなかったのではなかろうか。

しかし天皇賞を勝った後は調子を崩し、その年の後半は休養する。復帰後もオープンを2連勝するがアルゼンチンジョッキーズクラブカップを2着後引退。種牡馬入りするも需要もそんなになく終わってしまった。シンザンとお互いに全盛期に対決していたら歴史が変わっていたかもしれない馬であった。

オンワードの馬主は現在も続くオンワードホールディングスの創業者で当時は活躍馬を多数所有する有力馬主。シンザンもオンワードの馬主に買われる可能性があった。

カネケヤキ

16戦6勝

1着

  • 桜花賞
  • オークス
  • 3歳牝馬ステークス
  • 4歳牝馬特別(現フローラS)

2着

  • 朝日盃3歳S
  • クイーンS

3着

  • セントライト記念

シンザンの同期の牝馬2冠馬。朝日盃ではウメノチカラの2着と牝馬の中では有力であった。牝馬路線が充実していなかった為に牡馬と一緒に走り負けも多かったが、牝馬同士では抜けた存在でありに2冠を制す。

当時の番組では牝馬の大レースはオークスで終わりの為、秋は菊花賞に出走して桜花賞、オークス、菊花賞の三冠を狙う事になる。シンザン相手には無謀であったが果敢に挑んでぼっこぼこにわからされてしまう。その後体調を崩して引退となる。

繫殖牝馬としては結果を出す事が出来なかったが、功労馬として余生を過ごしているとサラブレッドの高齢記録を更新、同期のシンザンとの生存競争がはじまるも記録更新後1月ほどで老衰のために死亡。またしてもシンザンにいいところを持っていかれてしまった。

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