昭和40年 金でダービーは買えない

世代

あまり有名ではないがドラマ性のある2頭のライバル関係が魅力の昭和40年クラシック世代についてのまとめです。

この年のクラシック戦線、というかダービーは一人の男が虎視眈々とそのタイトルを狙っていた。その男の名は上田清次郎。九州の炭鉱王と呼ばれ高額納税者番付で全国1位になるほどの富豪であり、競馬界でも4度のリーディングオーナーに輝く関西屈指の馬主であった。その上田がどうしても欲しいタイトルが日本ダービーである。過去に皐月賞馬ダイナナホウシュウで圧倒的1番人気でダービーに挑んだがスタート直後に挟まれて出遅れて敗戦というゲームであればリセットしてやり直したい不運に合い敗戦する。ダイナナホウシュウはその後菊花賞や天皇賞を勝つなど大活躍しただけに余計にダービーの敗戦が悔しいものであった。昭和39年のクラシックはシンザンが3冠を達成していたため、よりクラシックに賭ける思いが爆発したのであろう。昭和40年のダービーはなんとしても勝ちたいと思ったのであった。たとえ、いくらお金を積んででも。

2歳路線(当時3歳)

関西から5戦5勝全て逃げ切り勝ち、うちレコード勝ち3回、2着につけた着差は合計30馬身という怪物が現れる。その名はキーストン。当然のように最優秀三歳牡馬に選ばれる。ただし父のソロナウェーはマイラーであり、キーストン自身もあまりにスピードが勝ったタイプのためにクラシックで戦うには距離適性が不安視されていた。

キーストンは距離不安がありそうなので距離が伸びて逆転できそうなタイプがクラシックの有力馬として期待される。その一頭がヒンドスタン産駒のダイコーターである。シンザンと同じ父を持ち馬主も同じ、自然と次なるシンザンとして注目を集める事になる。ただし、2歳時には1200m戦でキーストンと対戦して完敗している。

トライアルまで

キーストンはクラシックに備えて東上し、弥生賞(1600m)を三馬身差で逃げ切り勝ち。マイルまでなら強い。その裏ではダイコーターがきさらぎ賞まで連勝を重ねる。この時、ダイコーターの騎手栗田勝は先に東上していたキーストンの山本正司に「今度は負かす」と電報を送っていた。こんな電報を送るくらい仲が良く、キーストンがクラシックの最有力である事を認めながら成長したダイコーターで充分逆転できるという自信があったのだろう。

次走のスプリングSでこの2頭はぶつかることとなる。キーストンは圧倒的な1番人気で東上緒戦となるダイコーターが2番人気。しかし逃げるキーストンに狙いを絞っていた栗田勝は4角で捉え切って見事打ち破る。キーストンは2着を確保するも3着以下とは接戦であり距離不安が再燃することとなった。この勝利でダイコーターがクラシックの最有力候補に躍り出る。

また、この頃の上田清次郎はマサユキという馬できさらぎ賞とスプリングSに挑んでいたがダイコーターに二連敗、今年もダービーは無理かなと考えていた。有力馬はキーストンかダイコーターである。ダービーは他頭数のため前に行ける馬が有利と考えた上田は距離不安もあるが確実に前に行けるキーストンを欲する。キーストンの馬主伊藤由五郎に「2300万でどや?」とオファーを出す。この時のダービーの賞金は1000万円でありその倍以上の破格のオファーであった。しかし伊藤は丁重にお断りする。

皐月賞

スプリングSの勝利もありダイコーターが1番人気、キーストンは2番人気となり3番人気以下はかなり離された2強対決となる。他の主だった馬はみんなこの2頭に負かされていたからだ。しかしキーストンは馬体重-14㎏と体調に不安を抱えており、さらに20頭立ての19枠とかなりの外枠に配置されていた。

スタートからキーストンは精彩を欠き、いつものようにすんなり先手を取れず1コーナー手前でなんとか逃げの形にもっていく。しかし多頭数のクラシック本番は甘くなく常に馬群に突かれる形となり、3角あたりで早々と捕まってしまう。ダイコーターの方はというとこちらも後方から馬群を抜け出すのに手間取り、進路を見つけて上がっていったのは4角あたり。有力2頭が苦しんでいる最中、好位からスムーズな競馬をすることができたチトセオーが4角先頭から押し切り態勢。ダイコーターも遅れて猛追するもなんとか2着を確保が精いっぱいであった。キーストンは14着と大敗を喫してしまう。距離か調子か騎手がへっぽこか、キーストン陣営では敗因探しが始まるのであった。

NHK杯~ダービー前夜

皐月賞馬チトセオーと2着ダイコーターはダービーに向けてトライアル競走であるNHK杯に出走する。ここにはスプリングSでぼこぼこに負けてダービーに向けて立て直したいコレヒデも出走していた。人気は皐月賞は負けて強しだったダイコーターが圧倒的1番人気で、コレヒデが2番人気、皐月賞はフロック視されていたチトセオーが3番人気。

レースはダイコーターが完勝。2着はハツライオー。コレヒデは過剰評価だったのか15頭立ての13着、チトセオーに至っては最下位だった。さすがにこれは負けすぎだろと検査した結果、チトセオーに故障が発覚しダービーは戦う前に回避となってしまうのであった。

キーストンは馬主の伊藤由五郎がこんなへぼ騎手で大丈夫かと腕のいい騎手探しをするが、調教師の松田由太郎とその師匠武田文吾が「キーストンは山本じゃないとだめだ」と説得し、山本にはリベンジの機会が与えられる。てか武田文吾の意見が通るあたり、この頃の関西競馬界は武田文吾が中心となって回っている事が垣間見えるエピソードである。そんな周囲の後押しもあり、キーストンはダービー前のオープンを快勝する。なおこの時の2着はマサユキで上田の馬である。

上田清次郎はこのままではダービーはノーチャンスだと考え、ダイコーターの馬主を説得し購入を試みる。ダイコーターの馬主はシンザンの馬主でもある橋元幸吉。シンザンで荒稼ぎしたが、元々本業の資金繰りで困っていた経緯もある。なおかつ前年のダービーも勝っているしシンザン持っているしこれ以上の栄誉は無いだろうと必死の説得と、誠意となる2500万円もの大金を積んでなんとか手に入れようとする。ここまでされたら仕方あるまいと橋元は金銭トレードに応じる事となり、ダービー最有力候補のダイコーターは上田清次郎の所有馬となるのであった。「ねんがんの ダービー馬(予定)を手に入れたぞ

この出来事は当時のマスコミや競馬関係者の中で賛否の分かれる事となる。ダイコーターの調教師の柴田不二男は自らに相談なくトレードが成立してしまったため、別途上田に「ダービーまでは管理させてください」と頭を下げる嵌めになってしまった。果たしてこのままダイコーターはダービーに勝てるのだろうか。この年のダービーは例年以上に注目を集める事となる。

そして運命のダービー

前日からの雨の為、当日は不良馬場となる。こうなるとスピードに勝るキーストンに不利に見えるが、キーストンは不良馬場で2勝、ダイコーターは不良馬場未経験である。ただし、キーストンには距離不安もあるために下馬評ではやはりダイコーターが圧倒的1番人気でキーストンは2番人気となった。

今度は内枠の2番枠から好スタートを切ったキーストンがすんなり逃げ態勢。ダービーを勝ちたいダイコーターは普段より前目の5,6番手につける。1コーナーで隊列が決まるとキーストンはマイペースで逃げ、ダイコーターは進路を確保しながらも脚を溜めながらじわじわ後退していった。そして直線に入るとキーストンは一気にスパートして後続に大差をつける。これぞキーストンの勝ちパターンでダイコーターはまだ後ろ。直線半ばから凄い脚でダイコーターが追い込むもキーストンはセーフティリードをキープ。見事栄えあるダービー馬となるのであった。ダイコーターもよく追い込み、2着と3着の差は6馬身も開いていた。さすがにキーストンに楽に行かせすぎた。

こうなると上田清次郎は激おこぷんぷん丸となる。2500万円突っ込んだのにダービーは勝てずじまい、2着の400万円しか返ってこなかったのである。だが諦めるのはまだ早い。この後も順調に菊花賞や天皇賞や有馬記念を勝つことが出来ればペイできる損失である。

菊花賞、その後

菊花賞、それはダイコーターにとっては負けられない戦いとなる。金銭的にもプライド的にもだ。血統的にはマイル血統のキーストンよりも長距離血統のダイコーターの方が有利。ダービーは馬場も味方した。ダービーの後には上田武司厩舎に転厩したが特に問題はない。ということで夏休みから復帰後は重賞の神戸盃を含む3連勝で菊花賞に挑む。

ダービー馬キーストンも負けていられない。距離はスピードで克服できるとこちらもダービー後に重賞の京都盃を含む3連勝と万全の状態で菊花賞に臨んだ。

迎える菊花賞は3000mの重馬場。距離適性で上回るダイコーターが1番人気で距離不安のキーストンが2番人気。それ以下は皐月賞馬チトセオーが7番人気など大きく水をあけられていた。下馬評ではこの2頭の一騎打ちである。

キーストンがすんなり先手を取るもダービーと同じ失敗はしないとばかりにダイコーターが常にぴったりとマーク。途中でゴールデンパスに先頭を奪われるもキーストンは落ち着いて脚を溜め、ダイコーターも動かない。2週目の1コーナーで逃げていたゴールデンパスがどこかに行ってしまうけど気にせずにキーストンは先頭を奪い返す。その際もずっとダイコーターはキーストンのすぐ後ろをキープ。キーストンがどう動いてもダイコーターは完全にマークしたまま、そして直線に入ると満を持してダイコーターがキーストンを抜き去り完全勝利を収める。距離不安があったキーストンも相手が悪かっただけで実力は発揮した。この2頭とそれ以外では圧倒的に力の差があるクラシック戦線であった。

こうなると菊花賞馬ダイコーターの時代が来ると思われたが、そうはならなかった。菊花賞後はダイコーターもキーストンも有馬記念には参戦せず、1世代上のシンザンとは戦わずじまいに終わる。俺たちの戦いはこれからだとばかりに阪神大賞典に圧倒的な人気を背負って出走したダイコーターだったが、皐月賞馬チトセオー以下4着に敗れてしまう。まあ斤量64㎏は重すぎたか。(チトセオーは55㎏)

年明けからはキーストンともども天皇賞(春)を目指すが斤量が重くなりすぎたせいかどうにも成績があがらない。キーストンも同様で重賞に出走すると60㎏以上を背負わされるため、3歳時のように無双するのは難しくなっていた。

その後の物語は↓

ダイコーター

キーストン

他の同世代馬

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