昭和51年クラシックTTG世代

世代

昭和中期のハイレベル世代として名高い昭和51年のクラシック戦線について紹介します。トウショウボーイとテンポイントを中心とする熱い戦いが繰り広げられます。

時代背景と2歳戦線

昭和48年に日本中に競馬ブームを引き起こしたハイセイコーとそのライバルのタケホープも引退。ハイセイコーから競馬の素晴らしさを知った競馬民達は大きな喪失感に苛まれた。その穴を埋めるべく新たなスターホースを探すべくアイドルホース候補が待ち望まれていた。そこで現れたのがテンポイントである。精悍な顔立ちに綺麗な栗色の馬体、ドラマ性に溢れる血統、そしてデビューして3戦3勝、阪神3歳Sは7馬身差と圧勝続き。関西に現れた新星は瞬く間に人々の心を鷲掴みにし、来るクラシックに期待を抱かせる存在となった。

関東の人々は関西にテンポイントというやべー奴がいるらしいと戦々恐々としていた。ボールドシンボリという2歳(旧3歳)のチャンピオンがいたがテンポイントと比べると見劣りがする為、関東のエースの出現が待ち望まれていた。それは年が明けてデビューした馬の中に関東のやべー奴が現れる。その名はトウショウボーイ。素質馬の揃った一月の新馬戦では2着に3馬身、その後ろには6馬身の差をつけて圧勝した。その後も圧勝で3連勝とし、関東のエースと期待された。

トライアルから皐月賞まで

テンポイントはダービーを目標に東上、東京スポーツ杯(現在の共同通信杯)から始動する。あまりの期待度から古馬になったら海外遠征するぞと決まっていたくらい自信満々クラシックも通過点という意気込みである。そんなテンポイントに挑むのは前走の京成杯で初重賞を制覇したクライムカイザー、関東根性見せたれと挑むも返り討ちにあってしまう。ただ着差は半馬身とそこまで絶望的な差ではなかった。

クライムカイザーはそのあとの弥生賞でボールドシンボリを破り、この時点の関東勢ではトップの評価を受ける。テンポイントは中山のスプリングSへ出走しメジロサガミ以下を下して5連勝とする。ただしここではアタマ差の勝利で噂ほどの怪物ではないと一部の人は疑い始めたとか。その裏でトウショウボーイがデビュー3連勝目を飾る。鮮やかな勝ちっぷりに一気に関東のエースと目される。

こうして本番皐月賞を迎えるがここで一つのアクシデントが発生する。ストライキである。関東の厩務員組合が待遇の改善を求めてストライキを宣言。皐月賞は1週間の順延となり開催地も中山から東京へと移る事となった。関西から居候していたテンポイント陣営にとっては聞いてないよ~となった為、ストライキがいつまで続くかわからずに調整に狂いが生じてしまい、皐月賞は状態落ちで挑むこととなる。反面トウショウボーイ陣営はストライキする側であった為調整に苦労することなく順調に本番を迎える。

皐月賞本番は無敗の1番人気テンポイントと2番人気トウショウボーイの対決と目され、弥生賞勝ちのクライムカイザーが3番人気、ボールドシンボリが4番人気と続く。レースはボールドシンボリが引っ張り、トウショウボーイは先団の5番手あたり、テンポイントはその後ろの集団に位置取る。直線半ばでトウショウボーイが先頭に出るとあとは突き放す一方で2着以下に5馬身差の圧勝劇、皐月賞レコードも更新する。方やテンポイントはなんとかかろうじて2着を死守するに止まる。生涯初の敗戦は誰の目にも明らかな敗戦であった。

ダービー戦線

皐月賞の勝ちっぷりから、ダービーはトウショウボーイの1強との声が強くなった。確かにテンポイントは走れば走るほど弱くなっていくような感じで関西人が吹いていただけと思われるのも仕方なかった。この2頭は直接ダービーへと調整される。

そんな中、関西から新たな刺客がやってくる。関西の条件戦を連勝でNHK杯に挑んだコーヨーチカラが3馬身差をつけて圧勝。テンポイントを大将として送り込んだ関西から遅れてきた素質馬がダービーの有力馬として名乗りを挙げるのであった。このコーヨーチカラが栄えある初代関西の秘密兵器である。ちなみに歴代の関西の秘密兵器の成績はお察しであることに触れてはならない。

ダービー当日、圧倒的な人気を背負ったのはやはりトウショウボーイであった。皐月賞の鮮やかな勝ちっぷりから3冠馬を有望視され、首が低いフォームから背中に羽が生えたように悠々と走る姿から天馬と称されるなどこの頃のトウショウボーイの株価は上がる一方。反面テンポイントは関西の期待を背負うもトウショウボーイ相手には荷が重いかと自信を無くしつつあった。有力どころと対戦経験のないコーヨーチカラが3番人気で、以下クライムカイザー、ボールドシンボリと続く。

27頭立てのダービーはスピードの違いか多頭数を避ける為かスタートからトウショウボーイは逃げる形になる。ライバルのテンポイントとコーヨーチカラは5番手あたりを追走。道中は特に仕掛ける馬もなく、トウショウボーイも余裕の手応えで最後の直線に入るが、そこをクライムカイザーが外から強襲しトウショウボーイに馬体を併せる。その勢いにビビったのかトウショウボーイは減速し外側に膨れてしまう。その隙にクライムカイザーは一気に差を広げる。トウショウボーイは態勢を立て直しクライムカイザーに追いすがり差を縮めるも届かない。クライムカイザーが一世一代の大駆けによりダービー馬の栄冠に輝いた。トウショウボーイもよく追いすがり負けて強しの2着、3着以下は大きな差がついていた。テンポイントとコーヨーチカラは全くいいところがなく大敗した。

テンポイントはこの時落鉄しており、レース後には骨折が判明してしまう。幸いにも軽度なため菊花賞に間に合う可能性がある程度だった。さらに言えば皐月賞の調整ミスからダービーの時には体調が悪く追い切りでも状態が全然悪かったので逆転が難しい事を事前に悟っていた。そのためあまりショックはなかったらしい。

トウショウボーイの敗因として事前の取材の際に騎手の池上昌弘が、他の馬が来ると一瞬ひるむ癖があるという情報をポロっと言ってしまい、クライムカイザーの鞍上である名手加賀武見がダービーの舞台で仕掛けたのだ。実際のレース映像でも不利ではないがトウショウボーイは怯んだように見える。これによりクライムカイザーは「犯罪皇帝」と有難くない二つ名を得てしまう。

皇帝のリベンジの夏

ダービー馬の栄冠に輝きながらも有難くない二つ名をもらってしまったクライムカイザーは、今度は実力で天馬トウショウボーイを屈服させようと画策する。幸いにもトウショウボーイは北海道で休養するついでに顔見世とばかりに札幌記念(当時は芝コースがなかった為ダート2000m)に出走するらしい。クライムカイザーも同様に北海道へ赴き札幌記念に出走する。こうしてこの年の札幌記念で皐月賞馬とダービー馬の対決が実現するのであった。この時の札幌競馬場には観衆は6万人超の観客が訪れた。

札幌記念の前哨戦の札幌日経OPを勝ったダートの鬼グレートセイカンを交えて人気を分け合い、1番人気は天馬トウショウボーイ、2番人気グレートセイカン、3番人気クライムカイザーとなる。斤量はトウショウボーイとクライムカイザーが58㎏でグレートセイカンは57㎏と3歳馬ながらクラシックホースの2頭が古馬より重い斤量となる。レースの方はトウショウボーイがスタートから躓き、出遅れて最高峰からの競馬になってしまう。グレートセイカンが気持ちよく逃げる中、トウショウボーイが道中後方から追い上げてなんとかクビ差まで追い詰めたところでゴール。3着のクライムカイザーとは8馬身の差がついていた。

トウショウボーイもよく追い込んだがダービーと今回の敗戦により池上昌弘はトウショウボーイを下ろされてしまう。クライムカイザーも結局トウショウボーイ相手に大きな差で負けてしまい、犯罪皇帝の汚名返上はできなかった。

菊花賞に向けて西下するトウショウボーイ。鞍上は関西の天才騎手福永洋一(福永祐一の偉大なパパ)に選ばれる。最強馬に最強騎手が乗るから圧倒的最強だ、というノリだ。トライアルの神戸新聞杯や京都新聞杯を含めて関西馬を完膚なきまでに叩きのめすローテーションが予定される。これを知ったのかクライムカイザーもトウショウボーイ相手にきっちり実力勝ちするために同じレースに出る事になる。まさにストーカーである。当時のファンはライバル対決が延々と見れてうれしかったに違いない。

しかしその場に本来いるべきは関西期待のテンポイントのはずだ。幸いにも骨折の程度は軽く7月には完治していた。しかし関東遠征では順調さを欠いて疲労がかなり蓄積しており、元々体質の強くないテンポイントにとっては堪えていた。さらに皐月賞ダービーと完敗といっていい内容であったため、トウショウボーイとクライムカイザーに勝つためにはもっと鍛えないといけない。調教師の小川は関東遠征で成果の出なかった原因として、東京も中山も最後の直線に坂があるが、当時の京都も阪神も栗東トレセンにも坂は無かった。これが当時テンポイントをはじめとした関西馬が関東に遠征して苦戦していた理由として挙げていた。この声を受けて栗東トレセンには坂路コースが新設され、以降に訪れる関西馬大躍進の原動力になる。坂路で鍛えられて結果を出した関西馬(特にミホノブルボンとトウカイテイオー)はテンポイントに感謝したであろうに違いない。

テンポイントの復帰戦はなんとか間に合わせたような状態であったため、トウショウボーイやクライムカイザーを相手に直接対決する負担を避け、負けてもともとの古馬と対戦する京都大賞典を選んだ。

菊花賞戦線

神戸新聞杯でトウショウボーイとクライムカイザーが再度対戦する。こっそりダービー3着だった関西馬サンダイモンも出走してきたため、ダービーの1、2、3着が揃う一戦となった。関西の秘密兵器コーヨーチカラも出走していた。圧倒的一番人気はやはりトウショウボーイである。レースは2番手で進めるトウショウボーイをクライムカイザーが見る形で進む。4角でクライムカイザーが仕掛けて並びかけるが直線に入りトウショウボーイが仕掛けるとみるみる差が開く一方。2着のクライムカイザーに5馬身の差をつけて圧勝。この時のタイムが1.58.9と当時の日本レコードを1秒更新する大レコードを打ち立てる。2着のクライムカイザーも従来の日本レコードを更新するくらいには走っていたのだがさすがに相手が悪すぎた。3着にサンダイモン、コーヨーチカラは5着だった。この勝利でトウショウボーイはやっぱりすごい日本一と再認識される事になる。

続く京都新聞杯は神戸新聞杯のメンバーからサンダイモンの代わりに小倉記念を勝ったミヤジマレンゴが出走し3番人気、1番人気は言わずもがな。レースも同じような展開だが必死に食い下がるクライムカイザーに対して菊花賞に向けて力を温存したいトウショウボーイは手加減したのか半馬身差の決着となる。ただ、クライムカイザーは何度やってもトウショウボーイに勝てないため完全に格付けは確定したとの評価であった。

2強との対決を避けて京都大賞典に進んだテンポイントは状態の悪さも取り沙汰されていたのか生涯で最も低い6番人気の低評価であった。1番人気は日本短波賞を勝った3歳(旧4歳)のトリデジョウ、2番人気に福永洋一鞍上の天皇賞馬エリモジョージ。トウショウボーイとの対戦を避ける為か例年より3歳勢の出走が目立つ一戦となった。勝ったのも3歳馬のパッシングベンチャで10番人気。2着にビクトリアカップ(エリザベス女王杯の前身)勝馬で12番人気だったヒダロマン。枠連は万馬券となった。テンポイントは僅差の3着、状態を考えれば上出来といったところで関西のアナウンサー杉本清からも「今日はこれで十分だ」と実況としてではなく一人のファンとして心情を述べる。杉本清は2歳の頃からの熱心なテンポイントファンであり、以降もところどころファンの心情を実況に取り入れる名物アナウンサーとなるので許された。むしろ競馬ファンやテンポイントファンを増やす要因だった。復帰緒戦でまずまずの競馬が出来たテンポイントは本番に向けて視界良好であった。

本番の菊花賞は前夜の雨により重馬場での施行となった。実は1番人気のトウショウボーイ陣営は重馬場を苦手、スピードタイプの為距離も微妙とあまり自信は無かった。それでも2番人気クライムカイザーと共に単枠指定される。この2頭の組み合わせは鉄板と思われ、小倉の場外馬券売場で二頭の枠連を3000万円余購入する人が現れるほどであった。(この時の菊花賞の1着賞金は4500万円)テンポイントは離された3番人気であった。

レースは好スタートを決めたトウショウボーイとテンポイントが1番手2番手となり場内は大きく湧いて始まる。すぐに外枠の人気薄2頭が先頭を奪い、2頭は控える形となるが終始テンポイントの鹿戸明がトウショウボーイをマークしながら進んだ。春の関東遠征では状態が良くなかったテンポイントだが今回は比較的状態が良く、トウショウボーイ相手にリベンジする絶好のチャンスである。対してトウショウボーイは自分の競馬をすれば勝てると踏んでいたのか、いつも通りの王道の競馬に徹する。クライムカイザーは後方からトウショウボーイに復讐する機会を伺っている。三者三葉の作戦で、3角でトウショウボーイが逃げたバンブーホマレを捕まえるとクライムカイザーも一気に差を詰め、直線入口では3頭は外に進路を選び真っ向勝負が始まる。ここで力強く抜け出したテンポイントが早々と先頭に躍り出て関西期待の星が初戴冠と思われたのもつかの間、内目から黄色い帽子の馬が一頭凄い脚で突っ込んでくる。これがグリーングラスである。条件戦上がりで全くのノーマークでこんな馬出てたっけ?というような地味な馬が東西のスーパースターホースを撫で斬りに切り伏せるのであった。単勝5250円は菊花賞歴代最高の高配当である。途中でテンポイントの勝利を確信していた京都競馬場のファンは静まり返った。それでもグリーングラスは強かった。トウショウボーイは3着、4着にコーヨーチカラ、クライムカイザーはタニノレオと仲良く5着同着となった。

グリーングラスは当初は賞金的に出走できないはずであったが、3強に相手に勝ち目は薄いと判断した他陣営が続々と回避。グリーングラス陣営は長距離戦には自信があったため、出走の見込みがなくても関西へ遠征してきた。鞍上の安田富男も同様にこれまで8大競走に乗った事もない中堅騎手であり、東京での騎乗依頼をキャンセルしてでも出走見込みの立っていないグリーングラスを選んだ。本人は記念出走気分であったかもしれないが初の京都で初の8大競走騎乗で初制覇となった。当然最初から勝ち目があったとは思っておらず、3強なんて全く意識せずに自分の競馬に徹したらぶち抜いていた。まさに遅れてきた大物である。

1度目の有馬記念

菊花賞を負けはしたが、トウショウボーイ陣営は距離と馬場と敗因がはっきりしていた為にそれほど落ち込むことはなく、次なる目標を有馬記念に定めた。ただし鞍上の福永洋一はお手馬のエリモジョージが出走予定の為、今度は関西の名人武邦彦(武豊、幸四郎のパパ)に騎乗依頼する。これ以降のトウショウボーイの主戦は武邦彦になった。テンポイントも菊花賞は悔しい敗戦だったが、トウショウボーイには一矢報いたため自信を取り戻し有馬記念を目標にする。クライムカイザーとグリーングラスは翌年に備え回避した。

他の有力馬は春の天皇賞を制した気まぐれエリモジョージ、秋の天皇賞を制覇した地獄の金貸しチワワアイフル、天皇賞と宝塚記念を勝ち海外遠征帰りのフジノパーシア、前年の菊花賞馬コクサイプリンス、札幌記念でトウショウボーイに競り勝ったグレートセイカン、同期の2冠牝馬テイタニヤなど粒ぞろいのメンバー構成。人気順は1番人気はトウショウボーイ、2番人気にエリモジョージ、3番人気テンポイント、4番人気アイフルの順であった。

レースは3歳(旧4歳)の外国産馬スピリットスワプスが逃げ、コクサイプリンスとエリモジョージが先団を形成しトウショウボーイいつもより後ろの中団あたり、その前にテンポイントといった態勢でレースは進む。アイフルが最後方で待機。3コーナーからトウショウボーイが進出しやや遅れてテンポイントも遅れてついていく。直線に入りトウショウボーイがエリモジョージを捕えて先頭に立ちそれにテンポイントが続く。あとはトウショウボーイが後続を引き離し、それについてくるのはテンポイントのみ。前目にいた古馬の強豪たちは全滅し、3着には後方待機のアイフルが確保。勝ちタイムは有馬記念レコードを1.1秒更新する2.34.0。古馬も強豪がそろっていたがクラシック世代の圧倒的なレベルの高さが際立つ結果となった。

有馬記念を制して見事日本一の競走馬となったトウショウボーイが1976年度年度代表馬に選ばれる。テンポイントは古馬になって海外遠征をする予定だったが、トウショウボーイに負けたままでは行けないと翌年には国内に専念する事となる。

まだまだこの2頭を中心とした戦いは続くのであった。

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