ターフのフェミニスト ホウヨウボーイ

個性派名馬

ホウヨウボーイ

1980年と1981年の2年連続年度代表馬になった名馬だが現在の競馬界では全然知名度が低い存在。なぜなら当時でも飛びぬけた存在でもなく、種牡馬入り後も早世してしまったから。しかしながら二年連続で年度代表馬に選ばれるだけの名馬であり多数のドラマや名勝負を演じている名馬である。今回はそんなホウヨウボーイを紹介します。

血統とプロフィール

  • 父:ファーストファミリー
  • 母:ホウヨウクイン(母の父:レアリーリーガル)
  • 主戦騎手:加藤和宏
  • 調教師:二本松俊夫
  • 馬主:古川嘉平→古川嘉治
  • 生産者:豊洋牧場
  • 1975年4月15日生まれ 牡馬

父であるファーストファミリーはアメリカの名馬セクレタリアトの半弟で、ガルフストリームパークHなどを勝つなど活躍した。良血でそれなりに走った馬ということもあり高値であったが1億4000万円で豊洋牧場の主である古川博が買い取り、日本で種牡馬入りとなる。

母ホウヨウクインは豊洋牧場生産馬で中央で7戦2勝、父であるレアリーリーガルもまた古川博が購入した種牡馬であった。

二本松俊夫はその昔、オンワードゼアという馬で天皇賞や有馬記念を勝つなど関東の有力調教師であったが、近頃は8大競走から遠ざかっていた。

馬主の古川嘉治は豊洋牧場長の古川博の弟で育成部門担当である。ホウヨウボーイの馬主になったのは一度は買い手の決まった牧場期待のホウヨウボーイだったが、父が実績のないファーストファミリーであったため値切ろうされて、古川博がぶちぎれて売らなかった為に父である古川嘉平の名義でデビューするも、途中で嘉平が亡くなってしまった為に名義変更された。

出生からデビューまで

豊洋牧場で生まれたホウヨウボーイは当初から動きが良く、同期の馬のリーダー的な存在であったために豊洋牧場の一番馬と評価される。先代の牧場長である古川嘉平があまりの期待っぷりに赤飯を炊かせるほどであった。その評判を聞きつけて1000万円で買い手が現れるも、前述の通り値切ろうとしたため破談となる。その後は買い手が現れなかったために古川嘉平の持ち馬として走る事となった。

二本松厩舎に入厩後も期待は高まるばかりで2歳(当時3歳)の12月にデビューし6馬身差の圧勝劇を見せる。この勝ちっぷりを見たファンたちは翌年のクラシック戦線に有力馬現ると誰もが期待する内容であった。しかしその喜びもつかの間、レース直後に右前脚管骨を骨折している事が判明する。全治半年の大けがで翌年のクラシックは絶望となった。

競走馬に怪我はつきものであり、半年くらいの休養は珍しいものではない。これだけの素質馬であればダービーには出れなくとも活躍機会はいくらでもあるだろう。そして骨折も治り復帰に向けた調教を再開した夏頃、新たな悲劇が起こる。今度は左前脚管骨を骨折してしまうのであった。さらにはホウヨウボーイの父であり、古川博が導入した種牡馬ファーストファミリーも死んでしまう。それだけではなく馬主である古川嘉平も亡くなってしまう。まさに不幸のオンパレードとなってしまった。

このショックにより実質的なオーナーの古川博はホウヨウボーイも引退して乗馬(という名の処分)してしまおうと考える。しかし素質に惚れ込んでいた調教師二本松俊夫に説得されて踏みとどまる。その際には2度の骨折して復活し天皇賞と有馬記念を制したタニノチカラを例に出して説得したとされる。こうして古馬になっての活躍に期待しもう1年の休養に入るのであった。

復帰後から初重賞制覇

4歳(旧5歳)の8月にようやく復帰戦にこぎつける。長期休養明けの緒戦は不安もあるが能力は圧倒的であり快勝する。素質の高さを再確認した陣営は少し休ませて同じく条件戦に出走させる。当時は降級制度があったため、次走も同条件で出走できた。今度は何の不安も無かったが、僅差の2着に敗れてしまう。敗因は?よくわからないが、続く次走は何事もなかったように快勝したため、あまり問題視しなかった。そのあとも条件戦で1度負けてしまうが、復帰後は7戦5勝2着2回と順調に出世しオープンクラスに昇格した。

そして初重賞のタイトルを賭けて日経賞に挑む。相手は前走で中山記念を勝つなど重賞3勝のヨシノスキーに1978年の有馬記念の勝ち馬で前走の目黒記念で久々の勝利を挙げたカネミノブである。ホウヨウボーイは二番人気で一番人気はヨシノスキー、カネミノブが三番人気でその3頭で人気を分け合っていた。しかしレースでは実績馬2頭を尻目にホウヨウボーイがぶっちぎり勝利。能力は格上であることを見せつける。(斤量差はあったけれども)これで自信を深めた陣営はここまで使い詰めできたことを考慮し、目標を秋の天皇賞へと定め一旦休養に入る。

トップクラスの実力馬として

夏になると(重賞を勝っているのに)再度降級したため、条件戦に出走し大人気なく勝利する。次は大目標の天皇賞に向けて小頭数のオープンに出走。しかしここでもコロッと負けてしまう。そういえばここまで負けた馬は全て牝馬だったような・・・。若干の不安を抱えて大一番、秋の天皇賞に有力馬として挑む。

1番人気はダービー馬のカツラノハイセイコ、ホウヨウボーイはそれに次ぐ2番人気であった。3番人気は牝馬のシルクスキー、4番人気に名脇役のメジロファントムである。実はこの時ホウヨウボーイは不安があった。10日ほど前に擦り傷を負ってしまった為、調整は万全ではなかったのである。

レースは人気薄の牝馬プリティキャストが逃げ人気のカツラノハイセイコとホウヨウボーイがお互いをマークするように2番手につける。一週目の直線から一気にプリティキャストがリード広げ、向こう正面では圧倒的な差になっていた。こうなると人気馬は前を追うかライバルをマークするか難しくなる。直線でもセーフティリードをキープしているプリティキャストの後方でもがく人気の二頭。結局プリティキャストが逃げ切り、ホウヨウボーイもカツラノハイセイコも大敗、2着には2強を狙って虎視眈々脚を溜めていたメジロファントムが入った。

またしても牝馬に敗れ、デビュー以来初の大敗となったホウヨウボーイだが、擦り傷も癒え状態は登り調子となり、有馬記念に挑む。一番人気は天皇賞2着のメジロファントム、2番人気はカネミノブ、3番人気に不甲斐なく天皇賞を負けてしまったカツラノハイセイコに次いでホウヨウボーイは4番人気であった。天皇賞で大穴をあけたプリティキャストは7番人気。

今回は快速サクラシンゲキが出走していた為、プリティキャストは逃げる事に失敗、道中2番手にはホウヨウボーイがすんなりつける。前に牝馬がいなければ自分の競馬ができるホウヨウボーイは好位置でじっと我慢し最後の直線まで我慢する。先に仕掛けたカツラノハイセイコが抜けだすも苦しくなって外側に斜行、その隙を突いてホウヨウボーイが抜け出しリードを広げる。カツラノハイセイコもしぶとく再び差を詰めるもわずかにハナ差届かず、見事ホウヨウボーイが有馬記念を制覇する。幾度の怪我を乗り越えた苦労馬が5歳(旧6歳)にして初の栄冠となったのだ。

この年の8大競走は全て勝馬が異なっており、しかも重賞をしっかり勝っている馬も他にいなかった為にホウヨウボーイが年度代表馬に選ばれた。相手候補が天皇賞秋を人気薄で勝ったプリティキャスト、皐月賞2着でダービーを勝った後は惨敗続きオペックホース、春の天皇賞を勝ったあとは宝塚記念を大敗しそのまま引退のニチドウタロー、菊花賞馬ノースガストも上がり馬とそうそうたるメンバーで、戦績がまともなのがホウヨウボーイしかいなかった。この年は選ぶ方も苦労したのである。こうして晴れて年度代表馬となり、翌年のさらなる飛躍を誓うホウヨウボーイであった。

日本のエースとして

見事に有馬記念を制して年度代表馬に輝いたホウヨウボーイはそのままAJCCに出走し軽く逃げ切り勝ちをする。次なる目標は春の天皇賞ということで一息入れた後の中山記念はダイコーター産駒のキタノリキオ―に敗戦する。この敗北はホウヨウボーイにとって初めて牡馬相手に普通に負けるものであった。その後骨膜炎を発症し西下することなく春の天皇賞を回避し秋に備える事になる。

夏を越して9月のオールカマーで復帰したが、その時のパドックではひどく発汗しながらうまっけを出すという神経質な面を見せてしまい、断然の1番人気となるも本番はレースにならず5着に敗れる。違う意味で本番行為をしたかったのだろうか。ちなみに勝ったのは牝馬のハセシノブである。本当に牝馬に弱い。

そんなホウヨウボーイの態度にアタマを悩ませたのか、厩務員の菅原重次郎が突如脳卒中に倒れてしまう。結局そのまま回復することなく死去、これは天皇賞の2日前の事であった。天皇賞は弔い合戦となる。

1番人気は春の天皇賞でカツラノハイセイコの2着の後宝塚記念を勝った地方出身のカツアール、2番人気にホウヨウボーイ、3番人気に名脇役メジロファントム、4番人気に二本松俊夫厩舎の後輩でホウヨウボーイ同様の遅咲きアンバーシャダイ、5番人気にシルバーコレクターで太陽の王子との異名を持つモンテプリンスと粒ぞろいのメンバーが揃った。牝馬はハセシノブにジュウジアロー、ラフオンテースにメジロクラウンなども出走しており、ホウヨウボーイ包囲網が出来上がっていた。

レースではハセシノブが序盤モンテプリンスがハナを切りホウヨウボーイが二番手で進むも、3コーナーからハセシノブが先頭に躍り出る。ホウヨウボーイを揺さぶる作戦だろうか。しかし今日のホウヨウボーイはしっかりレースに集中していた。他の有力馬も仕掛けて横一線で始まった直線では先に抜け出したモンテプリンスを目標に2頭が抜け出し馬体を併せて激しく競り合う。どうしても冠が欲しいモンテプリンスと天国の菅原のためにも負けられないホウヨウボーイのマッチレースはゴール前でギリギリホウヨウボーイが前に出ていた。騎手の加藤も勝ち負けがわからず、ただ菅原の応援する声が聞こえたという。こうしてホウヨウボーイが初の6歳馬(当時7歳)としての天皇賞を制覇するのであった。この激しい戦いはこの年のベストレースと評価される。

栄えある天皇盾を手に入れたホウヨウボーイ陣営だったが、戦いはまだまだ続く。この年からジャパンカップが創設されており、日本を代表して外国馬達を迎え撃たなければならないのだ。天皇賞で強さを見せたホウヨウボーイとモンテプリンスが日本馬の代表格とされていた。外国馬ではアメリカからザベリワンやメアジードーツにペティテート、カナダからフロストキングにブライドルパースとミスターマチョの3頭、インドからインドのシンザンと呼び声の高いオウンオピニオンが参加してきた。この中では唯一の国際G1馬であるザベリワンが一番人気となりモンテプリンスが二番人気、ホウヨウボーイは三番人気だった。モンテプリンスの方が人気が上回ったのはザベリワンとメアジードーツが有力牝馬だったからであろう、ホウヨウボーイはまた牝馬に負けるのではと予想されたとかされていないとか。

いつもと違う雰囲気を察知してしまったのか、ホウヨウボーイはスタート時に顔面をゲートの鉄パイプ部分にぶつけてしまう。レース中は血だらけで走っており、これに気づいた鞍上の加藤は無理をさせないように回ってくるだけに徹した。レース後は歯を3本折っていたことも判明する。それでも6着と大きくは負けていないのだから本気を出していればもっと接戦だったことは間違いないだろう。ただしジャパンカップを制したのは牝馬のメアジードーツ、無事であってもなんだかんだで負けていた可能性が高そうである。

続く有馬記念がホウヨウボーイの引退レースとなる。当時の一線級の名馬が揃ったがやはり1番人気はホウヨウボーイで2番人気にライバルのモンテプリンス。2強は抜けているがこの時代は古馬の層が厚いため、各馬虎視眈々とチャンスをうかがっていた。レースが始まると、いつも通りの安定したスタートからホウヨウボーイはいつも通り好位置につける。道中はライバルのモンテプリンスの様子を伺いながら進め最後の直線では因縁のライバルより先に抜け出す。しかし今回は早く仕掛けすぎたかもしれない。ホウヨウボーイを目標に鋭い末脚で抜け去る馬が一頭、同厩舎の後輩のアンバーシャダイだ。並ぶ間もなく2馬身ぶち抜けたアンバーシャダイが2強を見事打ち破り、有馬記念を制覇する。ホウヨウボーイはモンテプリンスとの勝負に勝ったが2着まで、アタマ差の3着にモンテプリンスとなった。

これで引退となったホウヨウボーイはもう一つの勲章を手にすることになる。1981年度の年度代表馬だ。この年は皐月賞とダービーを勝ったカツトップエースがいたが、皐月賞は超人気薄での逃げ切りでダービーは3番人気での逃げ切り、そのあとは怪我で引退とすごく微妙な2冠馬であった。(似たような例では1997年にサニーブライアンが人気薄の逃げ切り2冠を制覇しているが年度代表馬になれなかった。)春の天皇賞勝馬のカツラノハイセイコも秋は走っておらず、天皇賞からの秋3戦を人気を背負って走ったホウヨウボーイが年度代表馬に相応しいと判断された。こうしてシンザン以来2頭目の2年連続年度代表馬に選ばれる。

引退後夢のような種馬生活が・・・

引退したホウヨウボーイには待ちに待ったお楽しみタイム、種牡馬生活が待っていた。その能力を買われてアメリカから2億円、日本中央競馬会から1億5000万円のオファーが来たというが、この馬は豊洋牧場自慢の名馬である。種牡馬を導入するのが得意な古川博にとっては自慢の名馬を手放すという選択肢はない。古川博が中心となってシンジケートを結成する流れとなった。長く一線級で走った能力が買われて当然のようにすぐ満口となる。

将来の種牡馬生活も有望かと思われたが種牡馬生活の1年目、種付けが終わった直後に倒れてしまい、そのまま帰らぬ馬となってしまう。死因は胃破裂であった。種牡馬生活はホウヨウボーイが思った以上に過酷だったのであろう。ストレスで胃が痛んでいたのであった。こうして人間味あふれるターフのフェミニストはあっけなくこの世を去ってしまった。

遺された数少ない産駒からは北海道競馬で道営記念を制したベストボーイくらいで、さすがに数が少なすぎて活躍馬は出なかった。もう少し長生き出来れば結果は違ったものであっただろう。

総括

現在ではほとんどの人の記憶に残っていない名馬であるホウヨウボーイ。一番惜しむらくはやはりクラシックを走れなかったことであろう。牝馬に弱い彼は牝馬のいない牡馬のクラシックレースであれば大活躍は間違いなかった。ただそれだと晩年の名勝負も無かったことになるのでそれはそれで惜しい。骨折しても諦めなかった陣営が素晴らしい。またパドックでは牝馬を見つけるとすぐヤル気が出てしまう欠点も人間に置き換えるととても気持ちがわかってしまう。勝鞍が地味だがこの時代を彩る偉大な名馬であることに間違いはない。

ウマ娘になるなら

スピードスタミナ20%パワー根性賢さ10%
馬場適正AダートG
距離適性短距離FマイルD中距離A長距離A
脚質適正逃げC先行A差しE追込G
スキル:ターフのフェミニスト 直線で逃げウマ娘を捕まえようとヤル気になって速度アップ

キャラ

ターフのフェミニストである。つまりアグネスデジタルとは違う方向でのウマ娘好きである。主に性的な意味合いが強い。危ないウマ娘である。ただし意外と神経質ですぐお腹を押さえたり、激しく顔面をぶつけて鼻血を出してしまうこともある。

ストーリー的には素質を期待されるも怪我で長期間お休みすることになりクラシック期の有馬記念で頭角を現す。シニアでは王道路線を走り、大目標はシニア期のジャパンカップで外国ウマ娘をわからせてあげることである。

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