昭和40年クラシック世代の馬達

キーストンとダイコーターの同期、昭和40年クラシック世代の主な活躍馬の紹介です。

コレヒデ

29戦14勝

1着

  • 東京新聞盃
  • アルゼンチンジョッキーズクラブカップ(現在のアルゼンチン共和国杯)
  • 天皇賞(秋)
  • 有馬記念
  • ダイヤモンドS

2着

  • クモハタ記念
  • アルゼンチンジョッキーズクラブカップ

3着

  • ダイヤモンドS

名門尾形藤吉厩舎所属で半兄には天皇賞馬のコレヒサがいる。血統的な背景から期待されるもクラシックシーズンでは全然通用せず空気に終わる。この時期に弱かった理由としてはコーナリングが絶望的にへたくそで他頭数となる皐月賞やダービーではとくに不利になるのであった。

しかし古馬になって出走頭数も少なくなるとレースっぷりも改善され、着実に結果を残すようになる。同期のライバルも不振に陥るなどで有力なライバルは不在となる中、重賞タイトルを積み上げる。そして秋の天皇賞で見事初タイトルを制覇、続く有馬記念でも同厩舎の天皇賞馬ハクズイコウや、1世代下のスピードシンボリなどを退けて8大競走を連勝、1966年度年度代表馬となる。

調教師の評価はハクズイコウの方が高く、特にエピソードがある馬でもないので何かと地味な印象を受けるが、当時の年間獲得賞金の記録を更新した立派な名馬である。

カブトシロー

68戦14勝

1着

  • カブトヤマ記念
  • 天皇賞(秋)
  • 有馬記念

2着

  • アメリカJCC
  • 有馬記念
  • スワンS
  • 天皇賞(春)
  • ダイヤモンドS

3着

  • 日本短波賞
  • スワンS
  • 天皇賞(春)
  • アメリカJCC
  • 東京新聞盃
  • 目黒記念(春)
  • 日本経済賞
  • 京王杯AH

クラシックには縁がなかったが、戦績だけを見ているとめっちゃ走っている無事これ名馬であり、5歳時に天皇賞と有馬記念を制覇するという遅咲きの名馬である。ただし、現役時代は「稀代の癖馬」と呼ばれていた。その所以は人気を背負って凡走し、人気薄で好走する為、新聞を読む馬と八百長馬とか言われていたとか。脚質も馬群の中で競馬ができないため、逃げか追込しかできずこれが安定感の無い成績に反映された。

というのもカブトシローが出走していたレースで八百長が仕組まれており、八百長に絡んだ4名の騎手が永久追放される大事件が発生していた。その為、カブトシローは今後も八百長を疑われながら現役を続けることになる。

実際に東京のオープン競走で11頭立て8番人気で単勝5350円の高配当を演出したり、重賞制覇もカブトヤマ記念が7番人気、天皇賞が8番人気、その次走の有馬記念も4番人気と人気薄のものばかり。

また馬主の西山正行も翻弄し、春の天皇賞をスピードシンボリにアタマ差で負けたあとまじで頭にきて1000万円で志賀泰吉(有限会社志賀名義)へ売却してしまう。この当時の有馬記念の賞金が1200万円だったため高額のトレードであった。だがその年の天皇賞と有馬記念を勝利することによりあっさりとペイすることになる。しかし、天皇賞と有馬記念と8大競走を二つも勝っているにも関わらず、それ以外の成績が良くないということで年度代表馬はスピードシンボリに持っていかれてしまった。

引退後は日本中央競馬会名義で種牡馬となるが、あまり活躍馬は出ずに腰を悪くしてしまう。その際に廃用処分されそうになるが、これを知ったファンが抗議して中央競馬会に助命嘆願書を提出する。結果として引退名馬繋養の第一号となり余生を送る事となった。当時は引退した名馬の行く末は不明なものが多く、屑殺された名馬も多くいたであろう。それを見直すきっかけとなった一頭である。また、このような働きかけのきっかけになるくらい当時の競馬民達に人気の馬だったのであろう。現在でいうところのステイゴールドさんみたいなものだろうか。

チトセオー

23戦5勝

1着

  • 皐月賞
  • 阪神大賞典

2着

  • 京都記念

ダイコーターを破った皐月賞馬。3戦2勝で挑んだ皐月賞では下級条件戦しか経験がない事から全くのノーマークになるも好位から抜け出し、ダイコーター以下を封じ切る。

しかしNHK盃後に故障が発覚したためにダービーには出走できず、菊花賞でも惨敗したが、ダイコーターが調子を崩し始めた阪神大賞典では雪辱し重賞2勝目を飾る。

古馬となってからは奮わずに1年以上にわたりひたすら負け続けるが、2回目の降級後に条件戦を勝利する。何故皐月賞馬が条件戦に出走しているかは当時のルールだから疑問に思わないように。その後種牡馬になるも特に記録には残っていない。

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