昭和45年 アローエクスプレスとタニノムーティエ

クラシック世代

昭和45年のクラシックは東のアローエクスプレスと西のタニノムーティエの両3歳王者がちんこ対決となる春のクラシック戦線となった。まるで漫画のようなクラシック戦線について語っていく。

アローエクスプレスの血統

父はグレイソヴリン直仔でイギリスの2歳G1を勝利したスパニッシュエクスプレス。母ソーダストリームは名馬産家アーガー・ハーン3世が生産した良血馬である。アローエクスプレスの両親は共に、馬主の伊達秀和が輸入した肝いりの血統馬である。

父は供用からわずか3年で早世してしまったがアローエクスプレス以外にもオークス2着のタカイホーマなどの活躍馬を輩出していた。

母はアローエクスプレス以外にも姉ミオソチスが重賞2勝の活躍し、テスコボーイ産駒の半弟サンシャインボーイは条件戦の勝ち鞍しかないが種牡馬となり重賞勝ち馬も輩出している。母の子孫からは皐月賞馬ファンタストや桜花賞馬プリモディーネが輩出されるなど現在まで続く牝系となっている。

アローエクスプレスーデビューまで

静内の三澤牧場で産まれたアローエクスプレスはすぐに期待馬となった。

馬主の伊達秀和がバリバリの最新血統として輸入した父と母で、母ソーダストリームの6番目にして初の牡馬である。

これだけの良血だけに関係者はぜひともダービーをと期待したに違いない。

順調に成長し見事な大柄の馬体となったのだが一つだけ欠点があった。

脚が外向していたのである。預かる側としては怪我のリスクの高い良血馬であるため、競争馬として取り扱うにはどうしても二の足を踏んでしまう。

その為か中々入厩先が決まらなかった。

結局姉のミオソチスの主戦騎手であった高松三太が調教師として中山競馬場の白井分場で開業した為、その縁で預かる事となった。

当時は東京所属>中山所属という格差があり、さらに分場の新参調教師ということで扱いの低さが伺える。

しかし3歳(現2歳)となって厩舎で調教するようになると評価は一変する。

デビュー前から調教で高度計を連発、当時デビュー前であれば5ハロン65秒で走れれば勝てると言われたところ、61秒で走っていた。これには高松も驚き、時計の故障を疑ったほどである。

アローエクスプレスー東の3歳王者となるまで

9月の中山芝1000mの新馬戦でデビュー。

その背には後に名騎手となる柴田政人が乗っていた。

当時の柴田は高松厩舎所属で3年目のペーペーである。

彼がアローエクスプレスと出会うことにより辛酸をなめながらも騎手として大きく成長するきっかけとなったのは間違いない。

そしてデビュー戦は58.9の好時計で圧勝。

どれだけの好時計かというと、当時の日本レコードと同タイムである。

3歳だけでなく古馬も含めたレコードであり、それをデビュー戦からたたき出すのだからただ者ではない。

その実力を裏付けるのが如く、2戦目も圧勝。

3戦目には京成杯3歳Sを選ぶが、ここではたまたま柴田政人は盲腸の為に騎乗できず、当時のトップジョッキーである加賀武見が騎乗する。

当然圧勝し3戦3勝。次は柴田政人の手に戻り4連勝するも、3歳チャンピオンを決める朝日杯3歳Sでは圧倒的一番人気のアローに若輩者の柴田には荷が重いと再度加賀武見が騎乗することとなる。

結果はもちろんレコードをコンマ8更新する完勝劇。

一躍関東のクラシック本命馬となったのであった。

ただしその裏では脚部不安を抱えており、球節に注射を打ちながらのだましだましの調整であった。

3歳王者となった後はクラシック戦線まで休養すべきところ、馬主の伊達の意向で柴田を乗せて京成杯に出走する。

この時は脚部不安もあったためか調教も仕上げ切らずに出走し、地力だけでハナ差勝ち切る結果となった。

この勝利が柴田政人の嬉しい重賞初勝利となる。

タニノムーティエの血統

父ムーティエはシカンブル産駒でフランスで活躍。兄に日本で種牡馬として活躍したモンタヴァルがいて、死亡した兄の代役として輸入された。タニノムーティエは初年度産駒となるが、本馬以外にも二ホンポロムーテーが菊花賞を勝つなど兄にも劣らぬ活躍をする。

母タニノチエリは未出走でタニノムーティエが初子となる。

のちに半弟のタニノチカラが天皇賞や有馬記念を制すなどカントリー牧場の躍進を支えた。

タニノムーティエのデビューまで

カントリー牧場はタニノの冠名でおなじみの谷水信夫が1963年に創業した牧場で、初年度となる1965年産まれのサラブレッドから皐月賞馬マーチスとダービー馬タニノハローモアを出した新進気鋭である。

タニノムーティエは3年目世代にあたる。

カントリー牧場は「ハードトレーニングで馬を鍛える」という信条を持っており、同期は20頭が生まれたが競争馬としてデビューできたのはたったの5頭、残りは全て脱落してしまったのである。

その生き残りの中で最も期待されていたのがタニノモスボロー(京都4歳特別勝ち)であるが、谷水信夫のお気に入りがタニノムーティエであった。

調教師は京都の島崎宏厩舎に入るが細身で見栄えがしないためかあまり評判はよろしくなく、調教師的には2つ勝てれば上々と考えていたようである。

騎手はスパルタ調教師で有名な戸山為夫の推薦により安田伊佐夫が主戦騎手を勤める事になる。

彼は戸山の麻雀仲間であったが、騎手としてさして実績は無かった。後に調教師としてメイショウドトウなどに携わる人である。

タニノムーティエが西の3歳王者になるまで

7月の函館で行われた新馬戦でデビュー。

出遅れるもコーナーで追いつくと鞭を使わずとも後続を突き放し圧勝。

2戦目も圧勝。3戦目となる函館3歳Sではカントリー牧場の生き残り仲間であるタニノソブリンに勝ちを譲るも続く札幌のダート戦では大差勝ち。

阪神で行われたデイリー杯3歳Sでも桁違いの追い込みで圧勝し重賞初制覇。

この時はタニノハローモアでダービーを制覇した宮本悳に乗り替わっていた。

しかし続くオープンでは2回も挟まれる不利を受け4着に敗戦。この時に谷水が激怒したため、以降は安田が乗り続ける事となった。

続くオープンはレコード勝ち、京都3歳Sも連勝する。続く阪神3歳Sは大外からぶち抜いて圧勝。

騎手の安田伊佐夫にとっては騎手生活7年目にして初の重賞タイトルとなった。

3歳シーズンは7戦して5勝、重賞2勝にレコード勝ち1回と文句なしの西の三歳王者となった。

ただし関東にもアローエクスプレスという化け物がいたため3歳チャンピオンは5戦5勝のアローエクスプレスが選出される。

この時点から陣営はアローエクスプレスをライバル視していたのかもしれない。

AT初対決のスプリングS

タニノムーティエは年明けのきさらぎ賞を壮行レースとし、クラシックに向けて先行策を試す余裕を見せて圧勝する。

陣営は確かな手ごたえを掴み関西勢の代表格として東上。

続く弥生賞は前日の雪の為にダート変更となるがおかまいなし、ダートもいける口のパワフルなムーティエは難なく勝利し、関東のファンにその強さを見せつける。

レース前は貧弱な馬体の関西のエースを見下していた関東のファンも確かな実力を認め、関東のエースとの直接対決を待ちわびていた。

年明けの京成杯から休養していたアローエクスプレスはスプリングSで復帰する。

ここでタニノムーティエと初対決である。

デビュー以来5戦無敗の快速馬アローエクスプレスとここまで11戦9勝で強烈な勝ち方を続けてきた関西の雄タニノムーティエ。

例年ならクラシックは間違いなしの実績を重ねてきた2頭の対決は前哨戦でありながらも10万人もの観衆が詰めかけていた。

ここではアローエクスプレスの鞍上には若手の柴田政人、年明け緒戦で京成杯では辛勝で休み明け。

対するタニノムーティエは年明け後も2戦し圧勝続きとということもあり1番人気に推される。

しかしその差は僅かで3番人気は当然の如く大きく離されていた。

レースは先行集団で進めるアローに対してムーティエはいつも通り後方から。

道中その差は10馬身ほどに広がる。

直線に入るとアローは早めにスパートし突き放しにかかりセーフティリード、しかし今回はライバルがいつもと違う、いつの間にかムーティエが猛追し、残り2ハロンからさらに鬼脚を披露してゴール前できっちり捕える。

初対決の結果は3/4馬身差でタニノムーティエに軍配が上がった。

3着のメジロムサシはさらに6馬身差、2頭のレベルの高さが際立っていた。

他陣営は同世代に生まれたことを恨むだけであった。

初の敗戦となったアローエクスプレス陣営はこのままではタニノムーティエに勝てないと、鞍上を柴田政人から加賀武見に変更する事を決める。

降ろされた柴田はこの時、関東ナンバーワンの加賀を凌駕する騎手となる事を心に決めたのであった。

師匠の高松も苦渋の決断であり、弟子と共に涙したのである。

アローの馬主である伊達もまた、後の自分の有力馬に柴田を乗せ八大競走を制覇するなど良好な関係を保った。

ただ、この時この瞬間はアローエクスプレスという稀代の名馬にクラシックタイトルを取らせたい陣営とファンが選んだ苦渋の決断だったのだ。

なお、タニノムーティエ陣営は戸山の麻雀仲間の安田に乗せ続けた。

文句の無い結果を残し続けているから当然である。

皐月賞

前年は23頭も出走していた皐月賞(勝馬ワイルドモア)だがこの年は約半分の12頭立て。

怪物級が2頭もいるんじゃ勝ち目がないと出走を回避した陣営が多かった。

当然主役はアローエクスプレスとタニノムーティエの2頭である。

1番人気は前哨戦で直接対決を制したタニノムーティエで僅差でアローエクスプレスが続く。

離れた3番人気アイアンモアは芝初挑戦ながらダートで3戦3勝で圧勝続き。

強いて上げるなら名門尾形藤吉厩舎所属で初対決となるこの馬くらいといったところか。

あとの出走馬は2強に負けた馬か格下ばかり。

2強のどちらが勝つかに注目が集まっていた。

柴田を降ろして名手加賀を鞍上に配したアローエクスプレス陣営としては確実に結果が欲しい一戦。

対するタニノムーティエは何も変えずいつも通り受けて立つのみ。

デビュー前からハード調教に耐えてきたタニノムーティエに対する信頼は揺らがなかった。

レースはアローエクスプレスがハナに立つ勢いだったが道中抑えてアイアンモアに譲る形。

タニノムーティエは中団やや後ろのマイポジション。

いつもと違ったのは3コーナーの仕掛けどころ。

普通なら徐々に進出していくはずのアローエクスプレスがポジションを下げ、上がっていったタニノムーティエに抜かされてしまう。

これはタニノムーティエの末脚に対抗するために脚を溜め、最後の直線に余力を残す加賀武見の作戦だったと思われる。

直線に入ると中からアローエクスプレス、外からタニノムーティエが抜け出し直線はマッチレースに。一度は先頭に立ったアローエクスプレスをタニノムーティエが僅かアタマ差差し切りゴール。

皐月の栄冠はタニノムーティエに輝いた。

なお3着にはムーティエ産駒の最低人気馬プランジャーが入った。3連単があれば高配当だっただろう。

接戦故にアローエクスプレス陣営は3コーナーで無理にポジションを下げた点を敗因に挙げ、それが無ければ勝っていたかもしれないと悔やんだ。

タニノムーティエ陣営は騎手の安田も調教師島崎にとって嬉しい初の8大競走制覇。

しかし先述のロスをしながらも接戦になるのだからとアローエクスプレスの強さを再認識した。

NHK杯で再戦

出せるレースは全部出てきたタニノムーティエは当然のようにダービー前にNHK杯に出走を決める。

中間に外傷があり調整に不安があったがオーナーの希望により出走することとなった。

対するアローエクスプレスもダービーに逆転する為にもNHK杯に出走を決める。これで3度目のAT対決となる。

アローはいつまでも負けてばかりはいられないと勝負度合いが違っていた。

他のメンバーは皐月賞で3番人気だったアイアンモアに皐月賞を回避しダービーに向けて東上してきたダテテンリュウなど。

オッズはいつも通りAT2強が圧倒的に支持を集めて3番手以降は大きく離される。

レースはアローエクスプレスが先行策、タニノムーティエは出遅れ後方からのいつも通りの展開。

しかし結果は違った。

すいすいと先行し直線で抜け出しアローエクスプレスに対してタニノムーティエは追いつけない。

終いにはダテテンリュウにハナ差まで迫られる危うい2着に終わってしまう。

この時ムーティエ鞍上の保田は慣れない東京競馬場の長い直線の途中をゴール板と間違えてしまい一旦手綱を緩めてしまうロスがあったのだ。

それでも2着を確保するのは流石ともいえるが、これでアロー相手に初の敗戦となってしまった。

対するアローはムーティエ相手に完勝と言える2馬身半差の勝利。

これでダービーに向けて視界良好となった。

ちなみにタニノムーティエ陣営は騎乗ミスのあった安田を責める事はせず、調整に不安がある中でこれだけの差であればダービーで十分逆転できると自信を深めるのであった。

東京優駿

迎えるダービーは22頭の多頭数となった。

当時は第一コーナーで10番手以内にいないと勝てないと言われており、これは後方脚質のタニノムーティエには不利と見做されていた。

逆に前走のNHK杯に勝利したアローエクスプレスは先行脚質でありダービーに向けて不安はないと思われていた。

ただ、現在だから言える事であるがアローエクスプレスは所謂短距離血統であり、ダービーは距離不安がありそうではある。

また関東のファンの後押しもありいつもの2強オッズでも並ぶものではなくアローエクスプレスの方がやや抜けた一番人気となっていた。

3番人気はいつものアイアンモア、4番人気にNHK杯でタニノムーティエに迫ったダテテンリュウ、5番人気に前走のローズSで大差勝ちした持ち込み馬のトレンタムが続いた。

パドックでは普段は落ち着いているアローエクスプレスが入れ込む。

これは勝負を賭けた陣営が当日朝に追加で調教を行い、これが逆効果であったためと思われる。

逆にタニノムーティエは前走とは異なり絶好調であった。

レースはアローエクスプレスは先行集団のやや後ろでいつもより後ろ気味、タニノムーティエはダービーポジションはなんのそのの後方集団に位置付ける。

向こう正面ではするすると位置を上げるタニノムーティエに対してアローエクスプレスは仕掛けを我慢。

しかしここで距離適性に差があるのか絶好の手ごたえで上がっていくムーティエに対してアローの手ごたえは怪しい。

むしろ先行しているダテテンリュウの方がいい手ごたえであった。

直線では先に抜け出したダテテンリュウの後ろにタニノムーティエ。

もうゴール版の位置は間違えまいと必勝を期す安田伊佐夫。その後ろにアローエクスプレスが続く。

直線に入ると2頭のマッチレースで壮絶な叩き合い。

しかしそれは多くの人が想定したAT対決ではなくタニノムーティエの相手は関西馬ダテテンリュウ。アローはその後ろで藻掻いていた。

宿命のライバルが苦しむのを尻目にムーティエはきっちりとダテテンリュウを捕えきり、第37回のダービー馬、そして2冠の栄誉に輝く。2着はしぶとく食い下がったダテテンリュウ。

離れた3着に人気薄のホースメンテディが入り、アローエクスプレスは5着に終わった。

3着までは関西馬が占め、アローを応援していた関東馬ファンにとってはショッキングな結果となってしまった。

AT対決で沸いた春のクラシックの結果は大きく報道され、翌日の朝日新聞東京版では「憎き関西勢 アロー下し3着までを独占」との見出しで、競馬の扱いとしては異例の四段抜きであった。

それほどまでにアローエクスプレスは評価されていたのである。

せめて2着であれば恰好もついたのだろうが、血統的な距離の壁だったのだろうか。

対するタニノムーティエは大一番に勝利し3冠馬を目指す立場となる。

オーナーは三冠馬となった暁には有馬記念を勝って来年は凱旋門賞やと息巻いていた。

デビュー以来初めてとなるまとまった休養のため休養に出る。

放牧地はオーナーが滋賀県に新設した放牧地である。

アローエクスプレスも同様に夏は休養となった。

秋クラシックから一気に引退まで

タニノムーティエはつかの間の夏休みを終え、古馬に交じって朝日チャレンジカップに出走する。

関西のファンにとってはダービー馬の凱旋出走ということもあり圧倒的一番人気となるも全くいいところなく8頭立てで大差の最下位に終わる。

60㎏の斤量が堪えたのか休みボケかよくわからないが何かおかしいぞと一般は首をかしげていた。

アローエクスプレスは菊花賞に向けてまずはセントライト記念にて復帰すべく調整する。

しかし直前で感冒を発症してしまい出走取消となった。

幸いにも軽度の為、そのまま西下し京都杯に出走する。ここにはタニノムーティエも出走を予定していた。

他にもダービー2着のダテテンリュウ、セントライト記念2着の上がり馬メジロムサシなどが出走しており、1番人気はタニノムーティエ、2番人気はメジロムサシで3番人気にアローエクスプレスとなっていた。

この評価から関西人にとってはアローエクスプレス恐れるに足らず、関東で1番怖いのは新星のメジロムサシであったのだろう。

しかし結果は伏兵タマホープが勝利し、アタマ差の2着にアローエクスプレスでタニノムーティエはいいところなく6着であった。

それもそのはず、タニノムーティエは夏の放牧中に喘鳴症を発症しており能力がほとんど出せない状態であることが発表された。

馬券を買っていたファンからは金を返せという怒号が飛んだことであろう。

菊花賞では復帰戦で恰好をつけた形のアローエクスプレスが1番人気に推される。

2番人気はダテテンリュウ、3番人気メジロムサシで3冠を狙うタニノムーティエは流石に終わったと思われて5番人気と人気を落としてしまう。

それにしてもスピード血統のアローエクスプレスには距離が長すぎた。道中一度先頭に立つのがせいぜい見せ場といったところで9着と大敗してしまう。

勝ったのはダービー2着のダテテンリュウで3冠を狙ったタニノムーティエは11着とこちらも大敗。

3冠に挑んだタニノムーティエは競争馬として再起を諦めこのまま引退となる。

結果としてAT対決は通算6戦し3勝3敗と5分で終わるもお互い納得のいかない最後の対決となった。

アローエクスプレスはその後有馬記念に出走するも老いて盛んなスピードシンボリに敗れ4着。

その後脚部不安を発症し休養に入る。

復帰戦としては9月のスプリンターズSに出走し、この距離であればアローの圧倒的なスピードを生かせると思われ一番人気に推されるも離された4着と敗れる。

アローほどの馬がこの程度の相手に負けるとはと陣営はショックを受けてしまい、これ以上の恥をかかせられないとここで引退となる。

こうして昭和45年の春クラシックを賑わせた2頭は秋以降、再び輝きを放つことは無く、ターフから去ったのであった。

参考文献

アローエクスプレス

WIKI

ネット競馬

タニノムーティエ

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ネット競馬

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