今では考えられない昭和競馬の常識

昔の常識今の非常識、ということで昭和の競馬界では当たり前とされていた事で時代が変わりルール変更され、平成以降の競馬ファンが覚えていないような事をまとめてみました。有名なものから無名なものまで思いつく限り挙げていきます。

年齢の数え方

現在では生まれたてから当歳、1歳、競走馬デビューが2歳、クラシックが3歳、古馬が4歳以上となるが、昔は生まれた瞬間から1歳馬、2歳となり、3歳でデビュー、4歳でクラシック、5歳以上が古馬となる。現在の方式になったのは2001年からなので20世紀のお馬さんは当時の表記から1歳減らすと現在の表記の表記と同等になる。なお、このサイト内では現在の表記に修正して記載する。

天皇賞の勝ち抜け制

創設以来、古馬の最高峰レースという位置づけだった天皇賞であったが、1980年までは一度優勝した馬は出走する事が出来なかった。これは天皇賞を勝った馬が負けると権威を傷つけるという事になり、種牡馬選定競走でもあるので勝った馬は十分強いからさっさと繁殖にあがってくれという二つの意味があったとされる。天皇賞に勝った馬は他の重賞競走では斤量が重くなりすぎて出るレースがなくなるため、種牡馬になるか海外遠征するかになった。日本競馬が国際化を目指す過程により、1981年にこのルールは無くなった。

8大競争

今ではJRA主催レースの最高峰はG1で以下G2、G3と重賞レースは格付けで表されているが、1984年にグレード制が創設されるまでは、全て等しく重賞という表記だった。ただ、その中でもレースの格というものは当然あって、それが8大競走と呼ばれていた。該当するのは皐月賞、東京優駿(日本ダービー)、菊花賞、天皇賞・春、天皇賞・秋、桜花賞、オークス、有馬記念である。なお、3歳限定のレースをクラシックと呼び、勘違いされているが秋華賞はクラシックレースではない。ジャパンカップは比較的新しい為、8大競走には入らない。

年齢と距離

昭和の頃は2歳戦(旧3歳)=ほぼ短距離で一番長くてマイルまでのレースしかなかった。3歳戦(旧4歳)で初めて2000m戦が始まり、オークスとダービーまでは2000m以下のレースしかなかった。そして古馬の最高峰レースは春と秋の天皇賞で、当時はどちらも3200mだった。(秋の天皇賞が2000mになったのはグレード制導入の1984年で初代勝馬はミスターシービー)

重賞についても2歳重賞は短距離ばかり、クラシックシーズンは中距離ばかり、古馬になったら大レースは長距離のみで大半の重賞は中距離、短距離重賞はほとんどないという偏りがあった。その為早熟種牡馬は短距離向け、晩成種牡馬はステイヤーという明確な棲み分けもあり、それぞれに需要があった。でもやっぱり一番人気になるのはダービーを勝てる種牡馬。

有力馬は使えるだけ使う

昔の馬は重賞レースも少なく天皇賞の勝ち抜け制もある為、古馬になった有力馬は目標レースが少なかった。ならば重賞を勝ちまくっても斤量の増えない3歳重賞で荒稼ぎした方が儲かるし種牡馬としても人気ですよねってことで、トライアルも含めて出れるレースは全て出るような馬が多かった。平成の馬では4歳秋のオグリキャップや3歳春のナリタブライアンの使い方がそんな感じで近年とは真逆の方向性であった。

東西の格差

昔から東西で拠点が分かれておりお互いがライバル意識を持っていた。これは今でも同じだが昔はもっとあからさまで交流も少なく、8大競走などの大レースくらいでしか東西の有力馬は移動しなかった。その為、近年は関西馬がちょっと強めだが昭和の頃は平均すると関東馬の方が明らかに強かった。理由としては大レースは東京や中山に多く、関西馬は輸送の負担が今より大きかった。また調教技術や馬の質も当時は東の方が優れていたと思われる。形勢が逆転したのは栗東トレセンが完成してからである。それ以前は各競馬場に厩舎があって、競馬場の馬場を使って調教を行っていた。だから昔の馬場は滅茶苦茶荒れていたのだ。現在では東西格差よりも天栄やしがらきといった外厩の施設が整った為、そちらの格差の方が大きくなっている。

東上、西下

東西の格差とも関係するが、昭和の時代は交通網が整っていないので輸送が大変でした。馬運車で当日輸送なんてできませんでした。輸送するのにもコストがかかります。なのでダービーや天皇賞など、大レース狙いの馬くらいしか東西をまたいだ輸送はしませんでした。さらに言うと、クラシックを狙えそうな関西馬は弥生賞などのトライアルシーズンからずっと関東方面に行ったきりします。そっちの方が何かと便利ですからね。弱い馬は連れていくコストも払いたくないのでそれなりに勝てる見込みのある馬しか行かせてもらえません。それでなくとも昔は関西馬は弱かったですからね。

牝馬は出るレースが無い問題

昔は重賞の数が少なく、牝馬についてはオークス以降は古馬の牝馬限定重賞が少しあるだけだった。大レースに至っては牡馬と一緒に天皇賞や有馬記念の長距離を走るしかなかった。よって牝馬は古馬になって出るレースに困ることになり、特に取引価格は牡馬と比べて格段に安かった。今では牝馬限定重賞や古馬牝馬のG1も増え、調教技術も進化して牡馬を相手に勝てるようになったのでジェンダーレス化は進んでいる。

ダービーは超多頭数

馬主の皆さんはみんなダービーを勝ちたいです。いや、出るだけでも大変な名誉です。参加するだけでも意義があるという事で日本ダービーは幅広く門戸を広げております。つまりはフルゲートがすごく多いです。時代と共に減っていきますが、28頭とか24頭とかです。トウカイテイオーのダービーですら20頭ですからね。特別なレースだから仕方なしです。

単枠指定って何?

昔の馬券は単勝と複勝と枠連しかありませんでした。枠連って今どき買う人がほとんどいないあれです。帽子の色事に分かれてるやつです。コンピュータの性能とか今より格段に落ちるし、入出力がパンチ式だったりするのでほぼアナログな感じです。ダービー28頭立てで馬連とか3連単とか無理っすよ。というわけで最大8枠までに出走馬を分けていくのですが、1番人気と最低人気が同じ枠になったりしますよね。そこで1番人気が釘を踏んで出走除外になったりすると、残った枠には最低人気しかいなくなります。滅茶苦茶人気を背負った最低人気馬の爆誕です。枠連としては成立しているので払い戻しはありません。こんなん馬券勝った人は激おこぷんぷん丸ですよね。このような事態を防ぐために、人気になりそうな馬は他の駄馬と同じ枠にならないように一つの枠に1頭だけ割り振られるようになりました。これが単枠指定の制度です。ちなみに友引取消というのもあって、同じ枠の他の馬が出走取消したら、同じ枠の馬は連帯責任で出走取消です。大レースでこんなことやったらとんでもないことになりますが、一部の地方競馬であったみたいですね。馬連の誕生とともに単枠指定は時代遅れとなって不要となりました。残念。

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