AI時代をこの先生きのこるために
――オーヴァー・ザ・AI
AIを使えること自体には、もうそれほど大きな価値はなくなっていくと思っている。
文章を書く。
コードを書く。
画像を作る。
データを分析する。
企画を考える。
少し前まで専門技能だったものが、次々とAIによって一般化されている。
だから、「AIを使える人間になろう」だけでは、おそらく足りない。
みんながAIを使うようになれば、AIを使えることは前提条件になる。
そのとき差になるのは何か。
私はそれを「オーヴァー・ザ・AI」と呼んでいる。
AIより計算が速い必要はない。
AIより知識量が多い必要もない。
むしろ、その勝負はしない方がいい。
AIを使った上で、そのさらに上の階層で仕事をする。
AIに何を任せるのか。
何を作らせるのか。
どこまで信用するのか。
何を却下するのか。
どこまで完成度を上げるのか。
誰に見せるのか。
誰を巻き込むのか。
そして最後に、それを世の中へ出すのか。
これを決める能力である。
今のところ、私は「オーヴァー・ザ・AI」には、大きく五つの能力が必要だと思っている。
1.責任能力――AIに任せる範囲を設計できるか
「AIは責任を取れないから人間が責任を取る」
これだけでは少し浅い。
本当に必要なのは、責任分界点を設計する能力だと思う。
まず、そのAIが何を得意としていて、何を苦手としているのかを把握する。
文章生成ならどの程度信用できるのか。
コード生成ならどこまでテストが必要なのか。
数字を扱わせたときに、どんな間違いをする可能性があるのか。
最新情報が必要な仕事なのか。
根拠のない推測を混ぜる可能性はないのか。
それを理解した上で、
「ここまではAIに任せる」
「ここからは人間が確認する」
という境界線を引く。
さらに重要なのは、チェック態勢だ。
AIが間違えたとき、それを発見できる仕組みになっているか。
間違いが発覚したとき、修正可能なのか。
影響範囲を把握できるのか。
元に戻せるのか。
誰が最終確認するのか。
ここまで考えて初めて「AIに任せた」と言える。
AIの回答をそのまま転送するだけなら、それはAIを使っているのではなく、AIに責任まで押し付けているだけだ。
そして、人間には最後の拒否権が必要になる。
AIがもっともらしいことを言っていても、
「根拠が薄い」
「その数字は信用できない」
「目的から外れている」
「これは発注者に説明できない」
と判断して却下できなければならない。
仕事で、
「AIがそう言ったので」
では説明にならない。
なぜこの方法を採用したのか。
なぜこの数字を信用したのか。
どこを確認したのか。
どんなリスクが残っているのか。
それを自分の言葉で説明できるところまでが責任だと思う。
AI時代の責任能力とは、根性論ではない。
AIの性能を理解し、委任範囲を決め、検証方法を用意し、問題発生時の修正経路まで設計する能力である。
2.発想力――他人にもAIにも許可を求めない
AI時代に最も希少になるものは、案外「自由な発想」なのかもしれない。
AIに、
「新しいゲームを考えて」
「売れそうな記事を考えて」
「人気が出そうな企画を考えて」
と頼めば、それなりに良い案が大量に出てくる。
問題は、それらが非常に「正しい」ことだ。
過去に成功したもの。
多くの人に受けそうなもの。
論理的に説明できるもの。
失敗しにくそうなもの。
AIはこういうものを作るのが非常にうまい。
だからこそ、人間には逆方向の能力が必要になる。
「私はこれを作りたい」
とはっきり言える能力だ。
市場がどう思うか。
他人がどう評価するか。
AIがどう評価するか。
そんなものを一旦全部横に置いて、
「これを作ったら面白い」
「私はこれが見たい」
「誰も作っていないから作る」
と言えるか。
発想の最初の段階では、AIすら無視していい。
むしろAIに最初から相談しすぎると、発想そのものが平均化される危険がある。
AIは優秀な参謀だが、必ずしも創業者ではない。
何を作りたいのか。
何を面白いと思うのか。
どこへ行きたいのか。
そこだけは人間が決めた方がいい。
AI時代の発想力とは、奇抜なアイデアを思いつく能力だけではない。
他人にもAIにも許可を求めず、
「私はこれを作る」
と言える自由さなのだと思う。
3.完成度――人間のストレスを限りなくゼロへ近づける
AIは最初の70点、80点を作る速度が恐ろしく速い。
だから今後、本当の差が出るのは、その先になる。
私は完成度を、
「目的を達成しながら、人間が感じるストレスをどこまで減らせるか」
だと考えている。
例えばWebサービスなら、
ボタンの場所が分からない。
説明文が長い。
同じ情報を何度も入力させられる。
スマホで見づらい。
処理を待たされる。
エラーが出ても理由が分からない。
こうした小さなストレスが積み重なって、人は使うのをやめる。
文章も同じだ。
分かりにくい。
長い。
結論が見えない。
同じ話を繰り返している。
読者が知りたいことになかなか到達しない。
これもストレスだ。
AIに一発で「良いものを作って」と頼むだけでは、この細部まではなかなか詰まらない。
ここで必要になるのが、分解能力、指示能力、修正能力だ。
まず、問題を分解する。
「なんとなく使いづらい」
ではAIも直せない。
画面が狭いのか。
情報量が多すぎるのか。
ボタンが小さいのか。
導線が悪いのか。
処理が遅いのか。
一つずつ問題に分解する。
次に、正確に指示する。
「もっと良くして」ではなく、
「スマートフォンでは重要情報を上部に集約する」
「操作回数を3回から1回にする」
「説明文を半分にする」
「この処理だけ非同期化する」
と具体化する。
そして実際に出てきたものを確認し、修正する。
一回で完成すると思わない。
作る。
試す。
違和感を見つける。
原因を分解する。
AIへ指示する。
もう一度作る。
このループを高速で回す。
だから完成度を上げる能力とは、職人的な技術だけではない。
「どこが不快なのか」を発見する感覚と、それをAIが修正可能な問題へ変換する能力でもある。
AIが作った80点を、そのまま世の中に出す人が大量に増える。
だからこそ、90点、95点まで持っていける人間には価値が残る。
特に最後の5点は大きい。
その5点のために、人間は製品を選び、サービスを継続し、お金を払う。
4.行動力――「できない」の価値が暴落する
そして、かなり単純だが重要な能力がある。
行動力だ。
AI以前の時代には、
「プログラムが書けないから作れない」
「絵が描けないから作れない」
「文章が苦手だから発信できない」
「データ分析ができないから検証できない」
という言い訳には、かなりの正当性があった。
今はその壁が急速に低くなっている。
コードを書けないならAIに書かせればいい。
絵が描けないなら画像生成AIがある。
文章が苦手ならAIと一緒に書けばいい。
分からないことがあればAIに聞けばいい。
専門的な部分だけ外部サービスを使ってもいい。
もちろん、何でも簡単にできるわけではない。
AIにも限界はある。
費用もかかる。
失敗もする。
それでも以前と比較すると、圧倒的に多くの道具が転がっている。
だからこれからは、
「できない」
よりも、
「やっていない」
の比率が大きくなっていく。
これは結構厳しい時代だと思う。
能力がなくても作れる時代だからこそ、作った人間と作らなかった人間の差が、そのまま残る。
アイデアを持っているだけでは価値にならない。
AIに相談しただけでも価値にならない。
プロトタイプを作る。
公開する。
データを見る。
失敗する。
直す。
もう一度出す。
ここまでやって初めて何かが生まれる。
AI時代は、能力の民主化であると同時に、言い訳の破壊でもある。
5.自己完結力――一人で作れるからこそ、一人で終わらせない
AIによって、大きく変わったことがもう一つある。
一人でできることが、異常に増えた。
企画する。
文章を書く。
画像を作る。
プログラムを書く。
デザインする。
分析する。
動画を作る。
宣伝文を書く。
以前なら数人、場合によっては数十人必要だった仕事を、一人でかなりのところまで進められる。
これは明らかに強い。
自分の中にある理想を、他人の都合で薄めずに形にできるからだ。
会議をする必要もない。
説明して納得してもらう必要もない。
予算を通す必要もない。
思いついた瞬間に作り始められる。
だから、まず一人で完結できる力は持った方がいい。
自分の理想は、自分しか持てないからだ。
最初から他人の意見を入れすぎると、まだ形にもなっていない理想が崩れる。
「それは売れない」
「分かりにくい」
「普通はこうする」
「前例がない」
そんな言葉で、まだ生まれてもいないものが無難な形へ削られていく。
だから最初は、一人でいい。
むしろ一人の方がいい。
自分が何を作りたいのかを、まず自分で形にする。
AIを使えば、それができる時代になった。
しかし、ここには罠もある。
一人で何でもできるということは、一人で何でも決められるということでもある。
すると、自分の基準だけで完成してしまう。
自分には分かる。
自分には使いやすい。
自分には面白い。
自分には必要だ。
そして、
「これは完成した」
と思ってしまう。
しかし、それは単なる自己満足かもしれない。
自分一人で完結できることと、世の中で通用することは別だ。
だから、一人で作れる時代だからこそ、逆に他人を巻き込む必要がある。
ここが面白いところだと思う。
以前は、一人では作れなかったから他人を巻き込んでいた。
これからは、一人で作れるのに、それでも他人を巻き込む。
意味がまったく違う。
労働力として他人が必要なのではない。
自分にはない観測点が必要なのだ。
「ここが分かりにくい」
「私はここで離脱した」
「この部分は面白い」
「ここはいらない」
「こういう使い方もできる」
他人は、自分とは違う場所から成果物を見る。
そこに価値がある。
他人を巻き込むことで、自分一人では発生しなかったシナジーも起きる。
自分では考えていなかった用途が見つかる。
別の専門知識が入る。
別の文化が入る。
別の感性が入る。
別の客層が見える。
コンテンツはそこで初めて広がり始める。
ただし、他人の意見を全部入れればいいわけではない。
ここでも責任は自分に残る。
全員の意見を聞いていたら、だいたい無難なものになる。
尖った部分は削られる。
説明しにくい部分は消される。
結果として、
「悪くないけど、誰にも刺さらないもの」
が完成する。
だから、理想はこうだと思う。
まず自分一人で完結させる。
自分にしか作れない理想を、いったん形にする。
そのあとで、他人の目を入れる。
自分の理想を観測してもらう。
壊してもらう。
矛盾を見つけてもらう。
自分では気づかなかった価値を見つけてもらう。
そして、もう一度自分で作り直す。
ここで重要なのは、最初の理想を守り切ることではない。
他人の観測によって、自分の理想そのものが変わることだ。
自分が「これが最高だ」と思っていたものが崩される。
しかし、それは失敗ではない。
その崩れた場所に、新しい理想ができる。
最初の理想より深いものになる。
自分一人では到達できなかった形になる。
私は、この過程を「深化」だと思っている。
AIで一人でも完成できる。
他人の観測で、その完成を一度壊す。
そして、もう一度完成させる。
完成。
破壊。
再構築。
この循環でコンテンツは強くなる。
だから、AI時代の自己完結力とは、
「全部一人でやる能力」
ではない。
「一人でも形にできるが、一人だけでは終わらせない能力」
なのだと思う。
オーヴァー・ザ・AIとは何か
整理すると、AI時代の仕事はこんな流れになると思う。
人間が発想する。
人間が目的を決める。
自分で最初の理想を作る。
仕事を分解する。
AIに指示する。
AIが作る。
人間が評価する。
問題を見つける。
修正する。
一人で形にする。
他人に見せる。
観測してもらう。
理想を一度壊す。
新しい理想を作る。
完成度を上げる。
責任を持って公開する。
そして結果を見る。
重要なのは、この流れの中心にAIがいるように見えて、実はそうではないことだ。
AIは非常に強力な実行装置である。
だが、
「何のために」
「何を作るのか」
「どこまでやるのか」
「誰に見せるのか」
「他人の意見をどこまで取り込むのか」
「これで世に出すのか」
を決めているのは人間だ。
私は、ここに人間の価値が移動していくと思っている。
知識を大量に暗記することから、
何を調べればいいのか判断することへ。
自分で全部作ることから、
適切に分解して作らせることへ。
作業を完璧にこなすことから、
完成品の品質を保証することへ。
一人では何もできなかった時代から、
一人でも何でも作れる時代へ。
そしてその次に、
一人で作れるからこそ、意図的に他人を巻き込む時代へ。
「自分にはできない」
と諦めることから、
「では、何を使えばできるのか」
と考えることへ。
AIより優秀になる必要はない。
AIと競争する必要もない。
AIは道具として最大限使えばいい。
その代わり、その上で何をするかが問われる。
責任を設計する。
自分の発想を持つ。
完成度を上げる。
実際に行動する。
一人でも完成させる。
そして、他人の観測によってその完成を壊し、もう一度作り直す。
これが、今の私が考えている「オーヴァー・ザ・AI」だ。
AIがさらに賢くなれば、この定義も変わるかもしれない。
それでも一つだけ、しばらく変わらないことがあると思う。
AIが何をできるようになったとしても、
「自分は何を作りたいのか」
そして、
「他人に触れられたあと、それをどう作り直すのか」
この問いだけは、最後まで人間側に残る。


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